エステイト日記

夏の研修旅行 2025で得られたもの|所長 長谷川大輔

私たち小林エステイトは、西宮で約50年不動産業を家族で会社を経営しています。

地域・社員に利益を還元するということはどういうことか?「いい会社」とはどのようにあるべきなのだろうか?会社経営者の自己満足と言われないためには何をするべきなのだろうか?

 

日々、お客様の不動産の売買や、鑑定という仕事を行いながらも、業務としてこなすような仕事ではなく、「いい会社」であり続けるにはどうすべきか?

 

自社に対して問いかけをしながら、活動することを心掛けており、2025年の夏は、家族として、会社として、学び、成長するきっかけにしたいと思い長野の「かんてんパパガーデン」に家族研修旅行に急遽行くことになりました。

 

今回は一人の経営者として感じたことを、備忘録としても、このブログ記事に書き留めたいと思います。時系列で、ちょっと赤裸々な長谷川家の家族の様子を綴っています。よろしければお付き合いください。

 

 

数年前、会社の経営は有り方を探るべく手にとった本が、リストラなしの『年輪経営』という本でした。

 

 

 

利益を追求することが法人の目的であるとか、常に成長を目指さなければならないという世間的な経営の在り方に疑問を感じた私は、執筆当時代表取締役であった塚越寛氏が本の中で語る内容に魅入られてしまったのです。

 

多忙な日々を過ごし数年が経ったのですが、2025年は、日本国内を探訪するべく各所を巡っており、中でも沖縄、飛騨古川と会社経営者を訪問する旅行は、心に刻まれる良い体験をすることができました。

 

家族に研修旅行の良さを話していると、夏の旅行の行先は研修を兼ねて、かんてんぱぱガーデンにしたいということになり、忙しい仕事の合間を縫い、家族の予定をあわせて急遽長野県まで車で旅に出ることになったのです。

 

 

家族で初めて行くことになった長野県の旅行は結果的に大変良いものとなりました。

 

近所にある「木曽路」というお店の名前も、南木曽から、松本まで、中央アルプス、南アルプスに囲まれた木曽路を旅した後は、ずいぶん印象も違って実感を伴って感じてしまいます。

 

山々に囲まれた土地柄のダイナミックさは、普段住み慣れた西宮の街とは比べ物にならない奥行を感じることができました。

 

 

 

 

私達は、初日、中津川市内にある鉱物博物館を訪れました。子供たちとともに、市内で採掘される水晶、ペグマタイトと言われる複合体の無機質的な美しさを体感し、暑い屋外にて家族で水晶採掘もチャレンジし、いかに水晶を見つけ出すことが難しいかの疑似体験も面白かったです。

 

 

岐阜県から長野県にかけて、妻籠、馬籠、奈良井という3つの宿があるのをご存知でしょうか?ネット情報によると、馬籠は観光化されていて、妻籠は昔ながらの風情を守り、奈良井はその両方の宿の良い所を持ち合わせているとのこと。

 

昭和44年、江戸時代そのままに復元・保存しようという取り組みを描く「木曽妻籠宿」という番組回を「よみがえる新日本紀行」という番組で見たことがあった、ということを思い出しました。

 

保存運動の中心となった考えは、「売らない・貸さない・こわさない」という3原則だそうです。

 

僕たちが行った妻籠の空に電信柱はなく、昔ながらの家屋が立ち並ぶ、店の店主は店頭販売で、お客さんが入ってきたことを察知して建物の奥から出てくるような昔ながらのスタイルがそのまま残っていて、古き良き時代を感じました。

 

 

僕はそこでヒノキの漆掛けの丸重にものすごく惹かれ、何に使うかもはっきりしないものの、値札以上の価値があると感じ、まさに、お宝を見つけた気分になりました。

 

使っているケヤキの木目がいかにも綺麗に浮かび出て、塗りも丁寧で、存在感の迫力と美しさのある佇まいです。良い木を求めて定住しない生き方を選んでいたという木地師という過去の職人集団の歴史への興味や、そしてモノづくりに魂を込める今の職人としての仕事ぶりに敬意を表したい気持ちで購入に至りました。

 

 

 不動産鑑定士は、人と不動産の関係を見る仕事であり、家族旅行を楽しんでいる時ですら、ついつい、現場実査の感覚と観点で街や建物や人の生きざまも含め考察してしまうのは、もはや、職業病、あるいは幸せなライフワークということなのかもしれません。

 

 

妻籠が、明治時代以降、電車と道路が整備されるにつれて、宿は本来の機能を失い、衰退傾向をたどった際には、宿の住民にもどうすれば現状を打開できるのかという苦悩があったに違いないだろうと思いました。

 

その中で、昔ながらの原風景を取り戻すというのは、大胆な方針だったであろうと感心しました。

 

 

不動産というものは、最有効使用されている状態を所与として価格を決定していますが、妻籠ではそれぞれの建物が最有効使用されているかというと、そうでもないと感じました。

 

遊休化している建物もある。そもそも「売らない、貸さない」ということは、宿に生まれ育った人だけが、できる範囲内で商売をしていることになるのだから、最有効使用とは言い難い側面もあるのです。

 

そこから、私達が資格勉強の際に教えられた鑑定評価基準に対する疑問も生じてきました。

 

最有効使用は人と不動産の関係を示す際に合理的かつ生産性に適った、経済的に最も効用を発揮している状態をさしているとみなされていて、我々もそれをもとに普段評価を行っています。

 

 

 

2024年に、家族でオランダに旅をした際も、オランダでは、昔からある建物は、堅固で、十分に利用できることから残され、新しく開発を行うことは厳しく制限されていたのですが、オランダでは、妻籠宿のように江戸自体からの風景は、むしろ自然な形で残っているのです。

 

最有効使用は、歴史上の美観や地域としてのまとまりの観点からは、もっと丁寧に検証されるべきことだと思わされました。
歴史的に、地域的に、その地域に住む人にとってというように、もっともっと大きな視野をもった際には、その敷地だけの最有効使用とは別の使用方法が最有効使用となるかもしれないのです。

 

 

新しく建てられた、その敷地にとっての最有効使用の建物は、地域の調和を乱すおそれがあります。不動産は、地域を形成するが、妻籠もオランダのロッテルダム等の街も、調和がとれているのです。妻籠もオランダも、不動産の価値とは何か、考えさせられる街並みでした。

 

初日の宿は、木曽駒高原にある森のホテルを予約していました。予約した際はぽつんと一軒家のような施設を想像していましたが、実際には大きな別荘地域に所属してその一角にありました。

 

集客のてこ入れなのか、本格的な屋外サウナが設けられており、家族で楽しい時間を過ごすことができました。

 

もう一つ楽しみにしていたことに「星空」がありました。家族は、雲の晴れ間に天の川も見えたといいますが、僕が見たときは、残念ながら、雲がかかっていました。

 

あきらめきれず、近隣のキビオ峠という場所で星空が一段とよく見えるらしいと調べ、チャレンジすることに価値があると家族を鼓舞しながら、夜の森に車で出かけることにしました。

 

光源をもつ建物は少しずつ減っていき、やがて何も光るものを持たない森の中を車は進んでいくことになりました。キビオ峠は、道沿いになだらかな地勢の場所があり、明るい時には御嶽山が見えるそうです。我々は夜の9時頃にキビオ峠に到着したのですが、空は曇っており、やはり星は見えませんでした。

 

ただもうひたすらに山の中の真の暗闇を家族で体感し、暗がりに潜む怖さを身に沁みつけてホテルに帰る結果となり、次男にとってのこの旅一、二を争う旅の思い出ポイントになってしまったようです。

 

初日の夜、宿の浴衣の寝間着を着てはしゃぐ可愛い娘の姿も見られましたが、朝から合計5時間以上運転をした疲れは重たく僕はすぐに眠りにつきました。

 

偶然、友達も松本市に観光で訪れているらしい。ということが急にわかって、家族で話し合って、急遽、予定していたルートを変更して、松本市まで北上することにしました。

 

松本市と伊那市は高速道路でつながっており、短時間で移動できるから、このルート変更は、当初の目的である、かんてんパパガーデンへの訪問には大きな影響はありませんでした。

 

「木曽路」とはまさにこういうことだ!と感じた瞬間でした。

 

中央アルプスと南アルプスに囲まれた道をひたすら北上する。途中、漆加工所が集積する平沢という場所には、道の駅もあり、大変興味深かったのですが、先を急ぐため後ろ髪をひかれる思いで、車を前に進めました。

 

見慣れた山々の道はいつのまには平坦地に繋がっており、周囲は、市街地となっていました。

 

塩尻市はぶどうの産地として有名でありワインを売りにしていました。塩尻の市街地エリアから高層道路にのり、松本市に到着しました。小腹が空いていたので、着くなり、オシャレなカフェ風のお店でおやきを頬張りました。

 

音楽祭の期中の街に着いたようです。小澤征爾氏の顔が街の色々な場所に掲示されており、祭りのシンボルカラーと思われる青い旗が歴史的建築物にかかっています。お城の南側すぐに車をとめて、歩いて松本城に入りました。この佇まいこそが、松本民藝のルーツだろうと思いました。

 

お城はお濠に囲まれており、戦う建物としての防御と攻撃の拠点でもあり、その黒い姿は、優美さも兼ね備えています。お城のことは詳しくありませんが、勇ましさと美しさをともに兼ね備えた松本城は、強烈な印象を放っていました。

 

そして、松本までくれば、やはり民藝です。車で10分ほどの場所に、個人の収集家が邸宅を改築して、民芸館を作っていることを知りました。大きな邸宅の扉の中央には、可憐な植物が配置されており、押し付けがましさのない、それでいて高い美の境地に関心しました。

 

室内には、収集された民芸品が趣深く並べられていました。松本市内のものに限ったわけではなく、メキシコなどの海外のものまで揃っていました。子供たちも意外と退屈することなく、収蔵品を色々と見て回り、楽しいひと時を過ごすことができました。

 

 

 

街中でご当地のソウルフードとして山賊焼きという鳥のから揚げのような食べ物が取り上げられていました。調べることが大好きなので、その場でルーツを探り、河昌というお店が発祥であることをつきとめました。午前11時30分から午後1時30分の2時間だけの営業時間は、民芸館を出たタイミングとばっちりでした。予約の電話を入れて、すぐお店に向かいました。

 

お目当ての山賊焼きを手に入れ、車中に食べながら、今回の一番の目的地である伊那市に向かいました。

 

 

『年輪経営』を読み、かんてんぱぱガーデンこそが、社員に利益を還元する理想的な会社だと思っていました。

 

妻籠から松本の間では、荒々しい岩がゴロゴロ転がっている川とそびえたつ山々から自然の厳しさを感じていました。しかし、伊那市内を車で走ると、南アルプスと中央アルプスに囲まれ天竜川を擁する平野部の農村風景は、おだやかで、気持ちも和みます。

 

どこまでも変わらない田園風景からどのようにしてかんてんパパガーデンは表れるのか、わくわくしながら車を進めました。

 

道は、突如、西も東も森のような不思議な場所につながっていました。東側の森に車を走らせるとたくさんの木陰で作られた駐車スペースに車を停めました。長年、思い続けた場所についに来ることができました。

 

 

思い憧れ、一つでも学ぶべきところを探しました。

 

店舗併設の工場がガラス張りになっていて作業工程を見学することができます。

 

製品ができあがる過程を知ることができます。寒天とところ天の違いや寒天の成分に関する情報が展示されており、寒天を詳しく知ることができます。

 

敷地内や建物内のお客様案内の表示が明瞭でわかりやすいです。

 

敷地内の施設は配慮に満ちており、これぞ越塚イズムだ、と思いました。

 

人でごった返すというほどではないものの、多くの人が施設内を行き来していました。「百聞は一見にしかず」です。東側の敷地内は、調和が整った素晴らしい場所でした。

西側の敷地内には、本社や関連施設があるそうです。

 

行政と交渉して設置したという歩道橋を登り、西側の敷地へ巡りました。

本社の前で記念撮影を行い、ここで働く人の目からこの公園のような敷地はどのように映っているのか思いを馳せました。西側の敷地には、健康パビリオン、多目的ホール、細密画館、蕎麦処、商業施設があります。

 

いい会社とは、誰にとっても「いい人」の会社版を目指しているそうです。

 

 

利益は社員に還元されるべきであり、健康経営を継続していると自然と生み出されるものだという会長の理念には、深く共鳴しました。多目的ホールや細密画館は、利用者や作家の方は大いに利益を享受していると思いますが、社員はどのような思いでいるのか気になりました。

写真にとってもやはり会社のメセナ活動は誇りであり、働くものにも自己肯定感を生み出すような存在なのでしょうか。商業施設は、寒天にこだわらず、日本中の良いものを販売するセレクトショップとなっています。

 

このセレクトショップは、かんてんパパが作り出す寒天を求めて遠方より訪ねてきたお客さんのニーズにマッチしているのか、どのような経緯で作られることになったのか、興味が湧きます。

 

私達は、家族で会社を経営しています。私達は、かんてんパパの良いところをそのまま取り入れることができるのか、そしておそらくかんてんパパでさえ、直面している問題があると思います。そのような課題を突破することはできるのでしょうか。

 

社員に利益を還元するということはどういうことでしょうか?「いい会社」とはどのようにあるべきなのでしょうか?会社経営者の自己満足と言われないためには何をするべきなのでしょうか?

 

かんてんパパを実際に訪れたことで、問題に対する嗅覚がより研ぎ澄まされます。より深く経営のことを考える素地を作りだしました。

 

伊那市地元のスーパーで買い物を済ませた我々は、一路、名古屋に向かいました。

今晩の宿は、名古屋最大の繁華街のど真ん中にあります。

山の中から出てきた我々には、街のネオンがまぶしすぎます。

客引きに声をかけられ、ホスト、ホステス、そのお客で街はごった返しています。土地勘が乏しい中、ご当地の味噌カツ屋さんになんとかたどり着き、お腹を満たして、ホテルでくつろぐこととしました。部屋は二室に分かれており、家族はそれぞれの部屋を行き来することになりました。

 

 

三日目の朝は、ホテルのビュッフェスタイルです。朝食をとった後、鈴鹿サーキットにむかい、家族団らんの時間を過ごしました。流れるプールやスライダーで楽しんだ家族は、その後、軽食を済ませ、アトラクション施設のエリアに移動しました。

 

鈴鹿サーキットを経営するのは、ホンダの子会社であるホンダモビリティランド株式会社です。「操る喜び」「チャレンジして成長する体験」など、独自色のある体験を提供する施設です。

 

もともとは交通事情が発達した1960年代に、安全な本格サーキットの必要性を強く感じ、鈴鹿サーキットを建設、開業した会社です。1980年代以降は、家族向けのアミューズメントパークや交通教育センターなどを併設するようになり、我々が遊ぶ場所が生まれたようです。

 

「操る喜び」「成長する体験」は社会貢献型レジャー・教育企業と言われているようです。

 

家族がのった施設は、お花を育む心を教えてくれる乗り物で、娘は、アトラクションのマスコットであるピンク色の恐竜チララの合言葉「お花の気持ちを考えよう」がお気に入りのフレーズとなりました。

 

将来、乗り物を扱うことになる子供の情操教育に投資を行う、同社の方針に研修旅行の目的地とは定めていなかった我々は意外なことに、学びを得ることができました。

 

 

 

名残惜しいものの、暑い日差しにさらされた我々は、16時過ぎには、西宮の我が家への帰路についました。二泊三日にわたる家族との研修旅行はこうして終わりを迎えました。

 

いい会社とは何かからはじまった旅は、思いもよらない大きな収穫を上げることとなりました。

 

かんてんパパだけにとどまらず、妻籠では、人と不動産の在り方を考え、鈴鹿サーキットでは、投資の在り方を考えました。

 

この経験を活かさなければなりません。良い思い出に留めてはいけません。

 

家族として、会社として、学び、成長するきっかけにしたいと思います。

 

2025年8月長谷川大輔

 

 

 

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